ノースディガルト軍が襲撃する、という事になっている今日。
遂に国の運命を左右する時が訪れた。
しかし、王宮に住まう大多数の人物達にとって未だ実感が湧かない。
他所の、かつ強大な兵力を有した国家と対峙すること自体が、皆にとって予想のつかぬ未知の出来事であり、とてつもなく大きな不安材料だった。
 
 
王女は万が一に備え、前日にメギロポリスへと親衛隊を半分、王宮戦士団も大半を動員。
ストルトスの漏らした情報では、公国全ての戦闘員の数はノースディガルト軍の10分の1に値するという。
その程度で民を護れるかと言われれば其処までだが、苦肉の策であった。
元老院の崩壊後、健全さが向上したはずの公国の体制は綻びが出始め、王女の指導能力についても陰で疑われる有り様。
求心力を高めたい彼女としても、今回の会合は何としても成功を収めなければならない。
 
 
「ストルトスは?」
 
 
昨日の時点で既に、ストルトスは目的地へ出発した。
このような質問自体、無駄だと思いつつも一応近くの女兵士に尋ねる。
 
「今朝から見かけていません。もうメギロポリスに向かったのではないかと・・・」
「ああ、その通りですよ。奴は朝方に門の所に来て「開けてくれ」と」
 
良かった。
公国側に一度首を突っ込んだ以上、最早逃げ出す事は許されない。
この大事な時に大役を放り出すようなことがあっては困る。
役目の放棄は彼にとっても、自分らにとっても不利益でしか無いだろう。
 
些細な疑問の解決で安心した気の緩みから、待機中の女兵士達と談笑を交わす。
 
しかし、何処か違和感をも覚えた。
彼女らの自分に対する言葉や態度が、妙に余所余所しく感じられるのは何故だ?
表面上は笑っているように見えるが、目は笑っていないようにも見受けられる。
自分が何か癪に障るような事でもしたのだろうか。
己の行動を振り返る間も無く、他の兵士が慌てて駆け込んで来た。
 
 
「はぁ・・・はぁ・・・・・・た、大変です!下層街が!!」
「どうしたの、そんなに大慌てで?とりあえず落ち着いて」
 
激しい息切れから、どれ程の距離を全速力で駆け抜けたかは想像に難くない。
がっくりと疲労で膝をつく兵士。
優しく背中を擦り、一呼吸置いたところで何が起きたのかと聞き出す。
 
「はぁ・・・先程、下の兵士から報告を受けて、下層街に向かったのですが・・・・・・」
 
同僚に肩を担がれつつも、震える右腕を一生懸命に持ち上げる。
下層街を指差すと同時に発した言葉は、ガールードの意識を一瞬凍てつかせる事になる。
 
 
 
 
「誰も、いないんです!!!」
 
 
 
 
 
 
______
 
 
 
 
 
朽ちかけた民家の壁。
雑草だらけの路地裏。
廃材の散らばる家屋。
空しく吹き荒ぶ風に乗り、漂う腐臭。
 
いつもと変わらぬ、荒れ果てた下層街。
 
 
「ど・・・・・・どういう事・・・・・・?」
 
 
 
只一つ、住民が居なくなった事を除けば。
 
 
 
 
「親衛隊の兵士が見回りに行って、始めて気がついたそうです」
「まるでゴーストタウンです」
「おまけに家具も殆ど消えています」
 
動員できるだけの兵士を駆り出し、あらゆる民家の中を虱(しらみ)潰しに捜索させるものの、発見の報告は無かった。
努力を笑うかの如く、只無情に鳴り続ける風の音。
そして微量ながらも蓄積していく、兵士達への不信感。
 
「・・・無視できない事態だわ。貴方はこの事を王女様に知らせて」
「はい!」
 
直ぐに王宮へと走り去る、第一発見者の兵士。
返事は良いが、やはり何処か違和感がある。
 
兎にも角にも、たった一晩の間に起きた謎の集団失踪。
下層街では、何が起きていたのか。
 
思考に沈んだ末、浮上した一つの仮説。
山賊共による大規模な略奪。
だが、有り得るはずは無いという他の兵士の声で直ぐ立ち消えとなる。
その理由は、最近何時に増して厳戒態勢下にある公国の防衛力。
元老院崩壊に伴い、下層街にも正規の兵らが配備されてから治安は向上。
しかも人員の大半は、ガールードから直々に手ほどきを受けた経験のある実力派達。
首領の捨て駒なぞ切り捨てる事は容易いもので、王都と外界の境目たる門を護っていた彼らが、卑劣な輩共に屈する事など考えられない。
 
「裏付けも取れています。門の兵士らはあの一夜の間、特に何も起きなかったという証言が」
「つまる所、山賊共の仕業では無い、と?」
「はい。他の可能性についても結構考えにくいですね」
 
再び迷宮入りしかけ、疑問は未だ尽きない。
目的は?
理由は?
そもそも誰が得をするのか?
 
「それにしても何所から逃げたのでしょうか。門は勿論、地下水路に繋がる縦穴の蓋は厳重に施錠されていますし、何者かに開けられた形跡も在りません」
 
地下水路。
何気ない、かどうかはともかくとして、兵士の言葉が大きな引き金となった。
急遽ガールードは、自身の記憶の糸を手繰り寄せ始める。
思い出せたのは、レジスタンスのアジト潜入時に盗み聞きした会話。
彼らは寂れた邸宅を根城にし、下水道から王宮に通じるトンネルを掘り進めていた筈。
その地下水路は王都の外にも通じており、長々と下っていけば農村の外れに出る。
 
 
「どうしました?」
「思い当たる節があるわ。私達に気づかれず脱出できるような経路が・・・でも危険が待ち受けているかも知れない。これは私一人で十分よ」
「・・・分かりました。十分にお気をつけ下さい」
 
後の事を兵士達に任せ、ガールードは邸宅の方へ走り出した
返された言葉は只の形式的に思えるほど、心が篭っていない。
そして微かに聞き取れた、兵士達の耳打ち。
自分が一体何かしたのか、後で問い詰める必要がありそうだ。
 
 
 
縦穴以外で脱出経路として考えられるのは、あの家の地下。
増してや何者かが教えない限り、大多数の民が気付こう筈もない。
元々道筋は分かっていたが、貧民が落としたであろう物の数々が目印となり、到着に然程時間は掛からなかった。
邸宅内に侵入し、暖炉から例の地下室へと直行。
置かれているのは木箱や麻袋だけで、特に怪しい物は見当たらない。
 
 
「!」
 
壁を隅々まで見渡した時、不自然な突起が目に付いた。
手で握り、引っ張り出そうと試みる。
すると驚くべき事に、突起どころか壁の一部までも動き出す。
壁の裏面を見やるとそれは鉄で出来ており、見事にカモフラージュされた隠し扉であった。
裏手には人の手で掘り進められたと思しき、土のトンネル。
暗闇の横穴を覗き込み、聴覚を研ぎ澄ます。
 
「・・・・・・やはり」
 
水の流れる音、更に鼻を劈く異臭が決め手となり、貧民達が此処を抜けていった事は確定した。
自分以外の気配が無い事を確認し、穴の奥へ進んで行く。
 
 
その1・2分後、程無くして下水道に到着。
複雑に分岐した水路が絡み合う、煉瓦造りの迷路。
壁に掛けられた松明を手に入れ、灯りだけを頼りに水の流れる方向へと下る。
事の重大さを考えれば、この際異臭など苦にもならない。
が、更に数分後。
 
 
「!塞がれている・・・・・・」
 
目の前には大量の土砂。
崩れ落ちた影響か、水路が狭まり足場にまで浸水し始めている汚水。
誰の仕業か、通路は天井の崩壊でこれ以上先に進む事が出来なかった。
追っ手を警戒しての念押しである事は明白だ。
どのような手段で天井を壊したかを探るべく、汚水と土砂に埋もれる瓦礫を手に取り観察。
 
 
「・・・・・・そんな!刃物で・・・・・・?」
 
 
思わず己の目を疑うガールードの内心は、悪臭への嫌悪よりも驚愕の気持ちが強かった。
殆どの破片に見受けられた、鋭い切り口。
それはある意味美しいと言えるほど直線的で、不気味なまでに整っていた。
知り得る限りでは、此処まで鋭い切れ味の武器など存在しない。
尚且つ天井の煉瓦をこうも器用に切り刻む事など、公国を代表する女戦士のガールードでも不可能だ。
 
 
彼女の脳裏を、一つの人物の顔が過ぎった。
赤毛の長髪で女に目がくらむ、どうしようもない不真面目な色魔。
人並みでない優れた身体能力を誇り、重量がある武具のハンデを背負っても息ひとつ切らさない、無尽蔵とも思えるスタミナ。
恐らく、あの男以外には有り得ない。
巧妙に己の実力を伏せ、手玉に取るようにガールードを子供扱いした彼以外に、決して存在し得なかった。
 
 
 
 
「・・・ストルトス?――――――!!!」
 
 
 
その名を呟いた一瞬、轟音と共に大きな揺れが響き渡る。
震動の大きさに足を取られ、背中から壁に叩きつけられた。
 
「うう・・・・・・」
辛うじて怪我は負わなかった事を確認し終えると、壁に寄り掛かりつつ立ち上がる。
 
断続的な轟音と震動に曝されている今の状況を見るに、どうも只の地震では無いらしい。
もしや、と思ったガールードは直ぐに来た道を引き返し、地上へと急ぐ。
 
だが既に横穴は崩壊しており、閉ざされたトンネルを前に一度は落胆するものの、諦めることなく別の出口を探し始めた。
元々王都の全水路は、全て中心部の王宮を源流として流れている。
つまり先程とは逆の発想で、水流に逆らうように沿って進めばいずれ王宮に辿り着くのだ。
案外素人考えのように見えて、実際は中々思いつかない。
 
「っ!また行き止まり!?」
 
とは言え、思い描いた通りに現実は易々と行かない。
頻発する震動が四方八方で落盤を引き起こし、足止めを喰う度に引き返さねばならなかった。
更に追い討ちの如く、後戻りした矢先に目の前で崩れ落ちる天井。
ガールードは痺れを切らし、王都の杜撰な耐震性を呪いながら水路に飛び込んだ。
 
 
もう形振り構っている場合ではない。
今も感じるこの揺れも、明らかに地震ではない。
まだ正体は不明だが、王都を狙っての大規模な襲撃である事は確実だ。
急がねば、民だけでなく王女も危ない。
 
汚水が口に入る事も厭わず、道中で何度か息継ぎして潜水を続行。
 
 
「ぷはぁっ!!・・・・・・アレは?」
 
顔を出すと、通路側の壁に開いた横穴が目についた。
見覚えがある。
地理的に考えても、このトンネルは先日ストルトスが掘り進めたものだ。
此処を抜ければ王宮の敷地内の地下水路に出られる。
向こう側の出口がまだ無事である事を祈り、汚水の中から這い上がると休む間も無く走りだす。
 
 
当時はストルトスの昔話を聞かされながらであった為、横穴の全長は思いのほか短かった。
王宮側の地下に躍り出し、そんな感想を抱いた瞬間。
背後で土砂の崩れ落ちる音を聞き、振り返れば其処に横穴の口は最早見えない。
 
「・・・危なかった」
 
あと数秒遅れていたらと恐ろしい結末を想像し、思わず唾を呑むガールード。
再び思考を本来の目的に引き戻し、付近で見つけた一本の梯子をよじ登る。
 
 
登り切って最初にした行動は、まず見つけた庭の噴水に飛び込む事だった。
潜水中は目を瞑り、水の流れだけで行くべき方向を判断していたとは言え、細菌に目を侵され失明しては元も子もない。
敵に囲まれた場合の心配も在ったが、この状況で殺気を感じ取れない程ガールードは愚かではなかった。
 
そうして体全体の汚れを落とし、顔を両手で拭った彼女の視界に入ったものは、真に受け入れ難い現実。
 
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!!」
 
 
王宮を守護していた、壁“だった”瓦礫の向こう側に見える異様な光景。
 
鉛色の巨大な鉄の船が5,6隻、翼も無しに王都の空を占拠。
表面に火花のようなものが光る度、街の所々で起きる爆発。
その街を見やれば上層は半分程、高低差で辛うじて見える下層街に至っては、大部分が炎に包まれている。
微かに耳に入ってしまった、人々の阿鼻叫喚。
地獄絵図。
 
「あ・・・・・・あ・・・・・・!」
 
呆然と立ち尽くすガールードの目前で、突然青白い一筋の光が王都を容赦なく焼き払う。
上空には鉄の船だけでなく、薔薇を模した形状の巨大物体が鎮座していた。
どうやら先程の攻撃は、あの花弁のような羽の中心から地上を薙ぎ払うようにして放たれたらしい。
鋼鉄の薔薇は光の収束・放出を繰り返し、街が真紅の業火で彩られていく。
 
「こんな・・・・・・こんなのって!!!」
 
超越した技術体系からして、正体は例のノースディガルト軍で間違いないだろう。
突き付けられた凄惨な光景は、たかが話し合いでは収まり切らぬ彼らの憤怒を表しているように見えた。
無慈悲に爆撃を繰り返すその様が、何よりの証拠。
しかし怒り狂っているのは彼らだけではない事を、自らの置かれた理不尽な状況を以って知る事になる。
 
 
 
 
 
「地面の下から登場とは、随分舐めた真似してくれるな」
 
 
 
 
 
聞き覚えのある声で我に返り、気がつけばガールードは数人の親衛隊兵士及び親衛隊長に取り囲まれていた。
皆、刃の切っ先を彼女に向けて逸らさない。
困惑するガールードに、親衛隊長が各々の怒りに満ちた表情の理由を語り始める。
 
 
「どういう事、これは?」
「今更とぼけても無駄だ。戦士団長、いやガールード。俺達にとって心の底から尊敬できる人物であり、国の正義の象徴、誇りに思える戦士でもあり・・・・・・俺達の憧れだった」
「・・・」
「しかし俺達は失望した。ノースディガルト軍と密約を結び、この美しき国を乗っ取ろうと画策している事を聞いた時からな!」
「!!!」
 
驚愕するガールード。
ノースディガルト軍との密約、クーデター計画、いずれも全く身に覚えの無い所業。
親衛隊長は事の真偽など構うことなく、溢れ出る殺気を抑えて言葉を紡ぎ続ける。
 
 
「王宮内では例の道化師に強い不信感を抱いていたが、それこそ間違いだった。奴はお前の本性を知っていた。
時間が無いと判断したのか、奴は上手いこと昨晩のうちに王宮へ忍び込み、王女殿に全ての真相を伝えたらしい。
ノースディガルトは最初から温和的解決を望んでいない。ガールードと共謀して侵略を図ろうとしている、と。危機が迫る前に王都を捨てて逃げ出せとも助言した。
無論、道化師を敵視するお前に怪しまれても困るからな。集団失踪の件に引かれて行った間に、王女殿は街中に避難勧告を通達した。
当然ながら全ての民を避難させ切ることは出来ず、そこへノースディガルト軍の襲撃に遭った。勿論、大勢もの民が死んだ」
 
惨劇の起きる前、兵士らの様子がどこか変なのも納得が行った。
あの時から既に、道化師の“罠”に陥ってしまったのだ。
 
「・・・・・・騙されているわ、皆。あの道化師こそが真の――――――」
「戯言なんざ、どうでも良い。・・・・・・分かるだろ?お前のエゴで、数え切れない程の命が奪われている。
連中の軍隊は落下傘のようなもので降下し、今も王都を蹂躙している。逃げ遅れた民を残酷に殺し、寄って集って女を犯しながら。
正直、この国が長い歴史をかけて掴んだ平和が、こんなに脆くて崩れやすいものだとは思わなかった」
 
剣を握る手が、一人の標的を前に激しく震える。
次第に親衛隊長の言葉は、怒りと憎しみで満ちていく。
 
「・・・なぁ、お前の理想はこういう事だったのか?犠牲なくして平和なし、の言葉に異を唱えていたお前の理想は!結局血を流す必要が在ったのかぁッッ!!!」
「違う・・・こんな・・・私じゃ・・・・・・・・・!!」
「お前の顔も、声も、全て気に障る!!失せろ、ガールード!!!」
 
気迫溢れる怒号と共に、親衛隊の兵士らが一斉に切り掛かる。
四方からの攻撃。
兵士間の僅かな隙間を見つけると、其処を掻い潜り回避してみせた。
反撃はせず、自らにかけられた嫌疑を解く為に、駄目元で王女の下へ向かい走った。
 
「逃がすな!!反逆者ガールードを殺せ――――――」
 
直後、自身の後方で青白い閃光と爆発。
振り返ると、無残に焼け焦げ宙を舞った兵士らが次々と地面に落下する。
親衛隊長の姿は、無い。
まともに直撃すれば、骨すら残らないとは。
 
至近距離故に迫力こそ違えども、先程の地を走った光と同じものだ。
此処にまで砲撃が及んだ時点で、王宮も安全とは言えなくなった。
早く王女に会い、道化師が吹聴した事の全容を知らなくてはならない。
 
 
現在の立場を考えると、正面より謁見に向かうのは自殺行為に等しい。
裏手の通路を駆け抜け、玉座の間へ。
緊急事態の最中でも決して己の椅子を離れない、王女の姿を確認して叫んだ。
 
「王女様!!」
「ガールード・・・・・・!来ないでっ!!!」
 
予想通り、王女は目の前の国賊に対して拒絶の声を上げる。
その眼差しには信頼の気持ちが篭っているはずも無く、有るのはガールードへの失望と恐怖のみ。
 
「・・・・・・王女・・・・・・?」
「・・・あの道化師から全て聞きました。貴女は私と親密なフリをして、虎視眈々とこの首を狙っていたと・・・」
「!!誰の入れ知恵で!!」
「それだけではありません。ノースディガルトの襲撃は、クーデターを企てるために裏で貴女が手引きしていたそうですね・・・・・・」
「それは道化師の嘘です!!私が血を欲するほど野蛮な女でない事は、十分理解されておられる筈!!」
「大事に思っていた貧民達をも巻き込んでまで、そこまで玉座の椅子が欲しいのですね!!最早、国の誇りでも何でもない。失望しました!!!」
「待って下さい、王女――――――!!」
 
必死に弁明を試みようとした時、突然あの道化師の声が玉座の間に響き渡る。
何も無い空間が歪み、真の敵は音も無く出現。
 
 
「ヘイヘイヘーーーイ!いつまでしらばっくれるつもりかな、セ・ン・シ・ダ・ン・チョー?」
 
 
 
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