上層街。
やや煩雑とした中層街、極めて煩雑な下層街と比べ、街並みは非常に整合性が取れている。
大通りも非常に広い幅が保たれ、窮屈という気持ちは一切感じられない。
「待てぇ、泥棒!!」
中層街へのゲートを潜ろうとした時、後方で男の叫び声。
見れば、大通りを必死の形相で疾走する商人と少年の姿。
年端も行かぬ薄汚れた格好の男の子の手には、一枚のパンが握り締められていた。
「何事?」
「聞いた話だとこの上層街では最近、物盗りが頻発しているようです。商人は特に狙われやすいとか」
「・・・あの身なりからして、下層街の出身ね」
商人の追跡を振り切り、あっという間に姿を消した少年。
責任を咎められては困ると、部下が早々にゲートを潜るよう急かした。
その後、中層街を通り抜ける途中でガールードの耳に入ったのは、新米を含めた4人ほどの部下達が繰り広げる、愚痴のぶつけ合い。
内容は主に元老院に対する不満だった。
「正直、元老院の寄生虫みたいなジジイ共には参っちゃうわ。貧民から搾り取るだけ搾って、何が高潔な生活ですか」
「貴族も貴族ですよ。私、本当は下層街出身なんですけど、奴らはいつも貧民達を見下すような態度ばかり取って」
「誰がお前らの生活を支えてやっているんだって話。パンも、ワインも、ドレスも、全部貧民の税金で賄われているのに」
「そのくせ平民はともかく、商人や貴族の奴らは税金をロクに払わない。自分達だけが特別だと思っているんでしょうね、本当に腹立つ!」
「それと言うのも、あの道化師がやって来てからですよ。急に国王殿が亡くなられ、元老院は実権を握り・・・」
話し込んでいるうちに、段々と怒りを募らせてきた兵士達。
表情が表に出ては不味いと思い、どうにか宥(なだ)める。
「落ち着いて、皆。気持ちは分かるけど、今は任務に集中すべきでしょう」
「それはそうですけど・・・・・・戦士団長も本音はどうなんですか?」
部下に問われ、表情が変わる。
「・・・・・・私?」
「はい。議員や家臣のジジイ共が噂してましたよ。ガールードは下層街の連中に味方してるんじゃないかって」
「・・・・・・・・・・・・」
「戦士団長は王女殿と特に親しいですよね?」
「?・・・ええ」
「それで、下層街にもよく訪れますよね?」
「ええ、でもそれがどうしたの?」
「ここだけの話・・・・・・民からの陳情は元老院が受け付けているのは御存知でしょうが―――」
「奴ら、自分達に都合の悪いものだけは王女に伝えていないんです」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・奴らは元老院を介さずに、王女へ陳情が通る事を恐れているんです」
「任務と称して王女殿から戦士団長を遠ざけたのも、きっとそのためです!」
「私腹を肥やしたいがために民の大切な意見を切り捨てているなんて・・・・・・最低」
毒を吐く新米兵士。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「どうなんですか、戦士団長!」
「戦士団長!!」
「・・・今は、その話をするのは止めましょう」
重い口から放たれた言葉を聞き、一瞬失望の色を見せた兵士達。
しかし彼女の指差した先のそれを確認し、間違いであったと恥じる。
「あれは、例の道化師・・・・・・」
平民達を集め、タネの分からぬ奇怪なマジックを披露してみせる小柄の道化師。
体は自分達に比べると小さく、一頭身ほどの大きさしか無かった。
むしろ体に顔がついているようなものであり、彼のような姿の者は近郊でも全く見かけない。
「彼は元老院とも繋がりのある者。聞かれたら大変よ」
「・・・はい・・・・・・」
世にも不思議なマジックショーを後にしようとした時、道化師が一瞬こちらに視線を動かす。
会話を聞かれたか、と思わず敵意を発するガールード。
彼は軽い会釈をしてみせるのみで、特に気にも留めない様子だった。
ガールードもささやかに会釈を返し、下層街へ通じるゲートに向かう。
親衛隊の兵士が気づき、頭を下げた。
「戦士団長、ご苦労様です!」
「ええ。そちらこそ」
「話は元老院より伺っております。これより先は下層街。一度大通りを外れれば劣悪な環境のスラムです、どうかお気をつけて」
そのスラムに仕立て上げたのは一体どこの誰なんだか。
心の中で元老院への皮肉を述べ、ゲートを潜る。
「・・・下層街・・・・・・・・・」
別世界のような光景を目の当りにし、新米の兵士が呟く。
大通りは外見だけなら普通の街並みである。
だが一歩外側に外れると、様相は一転。
路上に貧民が寝転んでいる事など当たり前の、とても寂れた悲しい光景がただただ広がっていく。
「相変わらず酷い所ですね。万年腐臭は漂うし、草木一本生えない、蚊は鬱陶しいしで荒れ放題ですよ」
「・・・・・・・・・・・・」
建物の材質は上層のそれと何ら変わりは無い。
それにも関わらず、一部倒壊しかけている民家も多数見受けられる。
答えは簡単だ。
貧民達には食費どころか、大工に修理を依頼するお金も無い。
「ああ兵士様ぁ・・・・・・どうか、お恵みを・・・・・・」
途中、下着一枚の乞食の男が空缶を前に差し出して来た。
先程の少年よりも明らかに小汚い身体。
「うわっ、不潔・・・・・・」
「駄目よ、そういう事を言っては」
「いだっ!」
周りの兵士達は驚いた事だろう。
普段は温和で冷静、母性に満ちたあのガールード戦士団長が、柄にも無く新米兵士の脇腹を小突いたのだ。
それも、背骨に到達せんとばかりに一際強い力を込めて。
貧民を馬鹿にされたのが相当腹立たしかったであろう事は、一連のやり取りで一目瞭然だった。
「大丈夫?」
「おおぉ・・・・・・また来て下さったのですね、女神様ぁ~~」
「私はただの兵士よ。ほら、今回はこれで住む場所を見つけて」
そう言って右足のブーツを脱ぐと、靴底に貼り付けられた一個の青い宝石を投げ入れることなく丁寧に缶へと入れた。
男の顔が歓喜の表情に変わり、涙を流す。
「ええっ!?それってアメジストじゃないですか!!」
「元老院の議員からくすねたのよ。勿論、他言無用でお願いね」
「はい!!」
「いった~~い・・・・・・」
新米は小突かれた脇腹を押さえ、何とか先輩達の後を付いて行こうと必死だった。
目の前の兵士が振り返り、彼女に一言。
「貧民も分け隔てなく愛する戦士団長の前で、あんな事言っちゃ駄目よ。今度ヘマしたらビンタ食らわせるつもりだろうから覚悟しときなさい」
「うう・・・・・・」
道中、またもガールードの足が止まった。
そこには一枚のワンピースを着た、15,6歳ぐらいの少女。
今度は服が土に汚れてボロボロである事を除けば、辛うじてマシな方と言えた。
「・・・・・・どうも。元気?」
「・・・・・・・・・・・・」
俯いた顔を覗き込むガールード。
少女は答えない。
ふと、新米兵士は少女に違和感を覚えた。
腹部の辺りが妙に膨らんでいる。
ボール遊びでふざけて服の下に仕舞いこんでも、あんな中途半端な大きさにはならない。
もしかしたら。
「おっ?そのお腹もしかして・・・・・・おめでたじゃないですか!」
とりあえず適当に祝いの言葉をかける新米兵士。
ところが、一方の少女はショックを受けたような顔だった。
「・・・・・・・・・・・・!!」
目には薄らと涙が浮かんでいる。
顔を両手で覆うと、その場を走り去ってしまう。
「?行っちゃった・・・嬉しくないんですかね―――」
その時、先輩兵士達の表情がよろしくない事を彼女は感じ取っていた。
しかし、何故そのような反応を取るのか今ひとつ理解出来ない。
訳を尋ねようとした時、頬に走る強烈な痛み。
気がつくと新米兵士は、やせ細った土の上に尻餅をつき倒れていた。
そして、自分を引っ叩いた主の顔を見上げ、青褪める。
戦士団長だ。
それも普段の彼女からは想像も出来ない鬼のような、しかし静かな怒りの形相を以って。
全身を駆け巡る恐怖。
この時はっきりと、彼女を怒らせてしまった原因を自ずと悟った。
ガールードはそれ以上手を下すことなく、黙って背を向けると再び歩き出す。
自力で起き上がる新米兵士。
先輩兵士達はガールードの後をついて行こうとはせず、お前が先に行けと言わんばかりに冷めた目で睨みつける。
仕方なく自分から歩き出し、ひたすら突き進む彼女の後をぴったり歩いた。
「・・・あのっ!!」
「・・・・・・・・・」
「その、す、すいませんでした!あの子のお腹、本当は望んでいた事なんかじゃ無いって事も知らずに・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「本当にすいませんでした!さっき殴られたのも自分のせいです、だから逆恨みしてなどいません!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
三度、ガールードの足が止まる。
不本意に背中にぶつかってしまい、思わず後ずさる。
そして彼女の口より語られた、忌まわしい事実。
「・・・・・・乱暴されたのよ、あの子」
「!!」
「もう数ヶ月前の事よ。ある夜の日、大通りを歩いていると10、20人ぐらいの盗賊に囲まれた。正確には、フォトロニス山の悪名高い山賊グループ」
「・・・・・・・・・!」
「彼女はゲートまで必死に逃げたわ。けど、あと少しという所で兵士ともども滅多打ちにされた。陰湿な暴力に耐えかね、抵抗を止めたところで路地裏に無理矢理引きずり込まれた」
「・・・・・・・・・!!」
「身包み剥がされた後は悲惨なものだったらしいわ。6人目辺りから彼女は記憶を失い―――」
「もうやめて下さいっ!!」
耳を塞ぎ、うずくまる新米兵士。
同じ女性として聞かされたくなかった、惨い事実に耐え切れなかった。
「・・・ごめんなさい、聞かれてもいないのに酷い事を。だけど貧民の味方を自称する元老院は何もせず、私は再びやって来た山賊達を秘密裏に全員斬り捨てた」
「・・・・・・・・・・・・」
「指示を下している親玉らしき男を逃したのは失敗だったけれど。・・・彼らのした事は“魂の殺人”。決して許されざる罪」
「戦士団長」
ガールードの言葉を遮り、涙目の表情で泣きじゃくる新米兵士。
「私、馬鹿です。本当の事も知らないで、あの子に無神経な言葉を投げかけてしまった。最低なのは私の方でした」
最後の言葉を聞いて思い出したのが、道中での会話。
あの時彼女は、確かに元老院の自分勝手な態度を最低と蔑んだ。
それは正に今の己に相応しい言葉だと自覚し、痩せこけた地面に跪く。
「気にすることは無いわ。むしろ、彼女の危機に傍にいてやれなかった私の責任よ」
「そんな!!戦士団長は何も悪くありません!!」
「・・・さっきの上層街での話だけど、確かに私は下層街を訪れてはその実情を王女様に話していた。一人でも、多くの民を救うために」
「・・・・・・戦士団長・・・・・・・・・」
「でも元老院は確証の無い噂だとして、言葉巧みに王女を言い包めてしまう。参ったものね」
「・・・・・・・・・」
「・・・私は諦めないわ。何としてでも、王女様と共にこの国を変えてみせる」
決意を新たに、ガールードは三度歩み始めた。
_____________
下層街の長が元住んでいた邸宅。
すっかり目も当てられない荒れ様となった建築物の前には、サーベルを携えた一人の男が辺りを見回していた。
「見張りがいますね・・・・・・」
「貴女は他の場所から彼の気を引いて。その隙に私が気絶させて、アジトに突入する」
「分かりました、やってみます」
兵士の一人は来た道を戻り、入り組んだ路地裏を駆け抜ける。
出た先は邸宅の裏側。
恐る恐る壁伝いに背面移動すると、先程の男の姿が見えた。
近くの石を拾い上げ、柵にぶつける。
物音に気づいた兵士は不審に思い、音のした方へ歩き出す。
「ん?何だ・・・・・・!!くそ、王宮戦士団―――うぐぁっ!!」
敵襲を知らせようと叫んだ男は、最後まで言い切ることは無かった。
背後からガールードに思い切り殴られ、地に伏せて気絶。
「腕っ節も凄いですね・・・・・・」
「しばらく眠って頂戴」
感心する兵士をよそに、壊れた門を潜り抜ける。
建物内部に侵入し、床のカーペットを汚す土の跡を辿っていった。
行き着いた先は客室。
一見行き止まりかと思われたが、兵士の一人が違和感に気づいて呼び止める。
暖炉とその周辺が更に土で汚れきっていたのだ。
それが地下への入り口だと判明するまで、然程時間は掛からなかった。
「ここですか?」
「多分ね」
足音を立てずに忍び歩きで階段を下り、若干腐りかけた木の扉の前へ到着。
空いている穴を覗き込むと、9,10人の男達が会話を繰り広げているのが分かった。
いずれも手にはツルハシ、鎌、包丁などの凶器を携えている。
『ボス、そんな大層なモノ買っちゃって大丈夫なんですか?』
『んな訳ねえだろ。本当はいざという時の為にコツコツ溜めてきた、家族の生活費だったんだ』
その中で部屋の一番奥に控える「ボス」と呼ばれた大男は、何と鎖付きの鉄球を所持。
今の話から察するに、大事な貯金を切り崩してでも買い付けたものらしい。
『ボスなら腕っ節だけでも十分だと思うけどなぁ・・・』
『良いか、作戦決行は今日の深夜。それまでにあの男が戻ってくるはずだ』
『しかしボス、奴を信じて本当に良いのか?どこか掴み所の無い性格で、気味が悪い』
『なに、下水道から王宮に潜入するという、誰もやらないような計画をぶち上げた奴だ。むしろ頭の切れる方だろう』
『さっさと戻ってきて欲しいもんですね、ボス。下水道への道はとっくにブチ空けましたし、後は王宮の裏庭までもう少し』
『ああ。このメンツでまともに腕の立つ男はあいつぐらいなんだ』
(いい?私が合図したら突撃するわよ)
(はい)
『工事中、あるいは今この時に襲われたら一溜まりもない―――!?』
そんな台詞を見計らっていたかのように扉を開け、不意を打った。
「そこまでよ!!」
「!!?」
室内に続々と踏み入る兵士達。
地下室はそれなりに広いスペースのおかげで足を伸ばせた所為か、床に座って寛いでいた男達は驚き一斉に飛び上がった。
慌てて武器を手に取り、身構える男達。
ガールードは一歩前に踏み出し、投降を呼びかける。
「くそっ、もう嗅ぎつけられたのか!上の見張りは何をやっていたんだ!!」
「・・・今ならまだ間に合うわ。馬鹿げた真似は止めて頂戴」
「断る!元はと言えば全部お前らが引き起こした事なんだ!!」
「だからと言って、テロ行為が許されるものでは無くてよ?武器を捨てて」
「駄目だ!丸腰になったところを殺すつもりだろ!?」
「・・・・・・ハハハッ、テロときたか!俺らはレジスタンスのつもりでやって来たのに、テロリスト扱いとはな!」
「ふざけるな!お前達に俺らの何が分かるんだ!!」
「やっぱり王宮の奴らなど信用できない!!」
「ウチの娘が乱暴されたのも、お前らがちゃんと仕事しねぇからだ!!」
説得、失敗。
敵方は益々と殺意を募らせてゆく。
「・・・という訳だ、王宮戦士団さんよ。幾度も虐げられ裏切られた俺達に、お上を易々信用しろと言う方が無茶なんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・!」
「びびるなよ、おめぇら!相手はせいぜい5人!数なら俺達が勝っている!!」
ボスの命令と共に、どよめきを雄叫びに変えて殺気立たせるテロリスト達。
どうやら平和的解決は望めそうにもない。
「どうします、戦士団長!?」
当のガールードは若干の躊躇いを残しつつも、剣を引き抜く。
次に取るべき行動は、言うまでも無い。
「・・・・・・・・・仕方ないわ。死なないよう全力で戦って!!」
「了解!!」
武器を取り、敵の攻撃に備える兵士達。
7人の男達は周りを取り囲むと、一人ずつ襲いかかって来た。
「らあっ!」
最初に棒切れ2人。
がむしゃらに振り回すが、所詮ただの棒。
剣の一振りで男ごと容易く斬り捨てられた。
次に鎌2人と包丁1人。
鎌男の一人は脳天に振り下ろされた剣を受け止めるが、ロクに手入れされてなかったが為に柄から刃が外れ、直撃。
もう一人も早まって鎌を投げつけるが、あっさり弾き捨てられて攻撃手段を失い、腹部に突きが決まった。
一旦は恐れおののいた包丁男だが、直ぐに残りのツルハシ4人と共闘。
敵味方入り乱れる大混戦。
「わあっ!!」
戦いの最中、新米兵士が不手際で剣を弾かれてしまった。
あれほど突きの時に肘を曲げるなと言ったのに。
卑怯にもその間を狙い、包丁を構えて突進する男。
見かねたガールードは鮮やかなハイキックで目の前の相手を蹴り飛ばし、助太刀に向かう。
男の真横から手首を掴み、剣の柄で包丁を叩き落した。
そのまま捻り上げられ、痛がる男。
「あ、ありがとうございます!!」
「礼を言う暇があったら剣を取りなさい。一瞬の油断が命取りよ」
他の兵士が相手していたツルハシ男めがけて投げ飛ばし、床に転がせる。
何とか起き上がる二人だが、追い詰められて発狂した他の男のツルハシと柄が後頭部に直撃。
壁に叩きつけられ、打ち所が悪かったのか二度と動かなかった。
発狂した男も抵抗空しく斬り捨てられ、絶命。
「くっそぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
今度は先程蹴り飛ばされたツルハシ男が武器を投げ捨て、ガールードに掴み掛かる。
「・・・貴方の子、さっき会ったわ」
「ああ、そうかよ!!お前らが俺達貧民を守ってくれなかった結果さ!!」
「・・・・・・ごめんなさい。だからこそ貴方には手を掛けたくない、その手を離してっ」
「うるせぇ!!今更謝ったって遅いんだ、そんなに悪いと思ってんならテメェの命で―――」
恨み辛みの篭った悲痛な訴えは、最後まで言い切ることは無かった。
背中を新米兵士に斬られ、倒れる。
深い傷が致命傷となって間もなく息絶えていった。
「何をぼーっとしているんですか、戦士団長!相手はテロリストですよ!?」
「・・・分かっているわ、だけど・・・・・・」
「敵に情けをかけたら駄目ですよ!!殺されちゃったら何にもならない―――」
窮地を救った彼女もまた、言葉を紡ぎ切れずに終わった。
「・・・・・・!!」
ガールードの目の前でその華奢な体が、骨の折れる生々しい音と共に大きく左へ撓(しな)る。
一瞬のうちに視界から消え失せ、行方を追うと血だらけで部屋の隅に倒れこんでいた。
剣が真っ二つに折れ、体は有り得ないほど曲がっている。
呻き声を上げて苦しむ様は常人ならとても見ていられない。
「痛い・・・ゲホッゲホ!・・・こんな・・・所でぇ・・・死にたくない・・・・・・嫌ぁ・・・!」
「しっかりして!!まだ息はある!」
一体こんな悲劇が何によって引き起こされたのか、間もなく明らかとなった。
「そうとも。敵に情けをかけられる覚えは・・・・・・・・・無ぇんだよッ!!!」
ボスの怒号と共に飛来する、黒い球体。
あの鎖付き鉄球だ。
右に飛んでギリギリ避けるも、それは衝突した壁を見事に粉砕。
おぞましい跡こそが、鉄球の破壊力を物語る揺ぎ無い証拠だった。
「そいつもそいつだ。敵に易々と背中見せる馬鹿がいるかってんだ!!」
直後、折れた剣がボスの顔のすぐ傍を掠め飛んだ。
壁で弾かれ、床に落ちる剣。
僅かに切れた所から血が垂れて頬を伝う。
「・・・もう一度言ってみなさい」
「ふ、ふん!その程度で俺がビビるとでも思ったのかよ!?」
「・・・個人的には躊躇いがまだ有ったけど、完全に吹っ切れたわ」
その次に発せられた言葉を耳にし、ボスの背筋が一瞬凍った。
「覚悟しなさい」
体が振るえ、鉄球を繋ぐ鎖は五月蝿い音を立て続ける。
武者震いなどではない、れっきとした「恐怖」。
「な、なめやがってぇ!!」
怯んではならないと再び鉄球を振り回すボス。
十分に遠心力をつけ、ガールード目掛けて投擲。
しかし、怒りで本気を出した彼女の目には至ってスローな動きにしか映らなかった。
避けられた鉄球。
急いで鎖を手繰り寄せようとするが、途中でピンと張りそれ以上引っ張る事が出来ない。
ガールードの仕業だった。
ボスは何としても主導権を握ろうと力強く引き寄せるも、相手の力が予想以上に強いせいで5分の状況が続く。
「戦士団長!!」
「貴女達は下がっていなさい、危険よ」
近づく兵士達に対し、手出しは無用と命じるガールード。
戸惑いこそしていたものの、大人しく彼女の言葉に従う。
「畜生、いい加減放しやがれ!!」
歯を食いしばるボス。
鎖を引き寄せるだけしか頭に無かった事が、彼に不幸を招いた。
「はい、どうぞ」
言葉を聞いた瞬間、体が後ろに大きく飛んだ。
壁に激突するボス。
何が起きたと思った矢先に、今度は鉄球が自分の顔面に直撃。
「ぐっ!?っぎゃあああああああああ!!!!」
激痛が走ったのか、その場で顔を押さえてのた打ち回る。
ガールードから見た彼は何本もの歯が折れ、口も鼻も血だらけだった。
頑丈に出来た身体なのか、即死に至ってないというだけでも十分恐ろしい体力に感じられる。
「やりやがったな、こなくそぉっ!!!」
起き上がるなり更に鉄球を振り回し、がむしゃらに床へ叩きつける事で抵抗意思を示す。
「ウチには女房も子供もいるんだ!まだこんな所で死ぬわけには行かねぇんだよ!!」
やけを起こし、鎖を持つ手を放すと鉄球はガールード目掛けて飛来。
しかし最後の悪あがきは華麗に避けられ、ボスは手持ち無沙汰に。
「がはっ!!」
次の瞬間、鮮やかな太刀がボスの肉体に刻み込まれた。
大柄の巨体が、前のめりに音を立てて倒れ込む。
「うぐ・・・・・・ぢぐじょお・・・・・・てめぇらの事・・・一生恨んで・・・や・・・・・・・・・」
斬られた傷より溢れる血を止めようと手で押さえ、とうとう力尽きる。
刃に付着した血を振り払い、鞘に収めるガールード。
息も絶え絶えの新米兵士。
「起きてよ!しっかりしてったらぁ!!」
「・・・・・・戦士・・・団長・・・・・・私、死ぬんですか・・・・・・ゲホッ、ゲホッ!!」
他の兵士よりも後から駆け寄り、血塗れの体を起こした。
咳を抑えた手には、血が付着していた。
口からも赤い液体が顎を伝い、滴り落ちる。
「うかつに喋っちゃ駄目!」
「戦士・・・団長・・・・・・ゴホッ・・・」
「・・・・・・・・・」
無言のガールード。
彼女の問いに答える事自体が最早苦痛だった。
「・・・自分でも・・・うう・・・分かっています。だから・・・ちゃんと・・・ゲホッ!・・・答えて下さい・・・お願い、します・・・」
一同の視線が、答えを求められた彼女に向けられる。
「・・・・・・もう、助からないわ」
「戦士団長!!」
「良いん、です・・・・・・それより、も・・・戦士・・・団長・・・・・お願い、が・・・・・・」
「・・・・・・何?」
「最後に・・・ゲホ・・・懺悔したい・・・事があるんです・・・・・・聞いて・・・くれますか」
「・・・ええ」
苦痛に耐え、ぽつり、ぽつりと彼女は語り出した。
「・・・私、王宮戦士団に、なる前から・・・悪い子だったんです・・・
平民の、生まれなんです、けど・・・いつも馬鹿な事して、両親に叱られては・・・下層街の子供を、苛めていた・・・・・・
でも、本当は・・・・・・私も貧民だった・・・・・・親が私に、幸せになって、欲しいから・・・身分を偽って、中層街に潜り込んだ。
私は・・・・・・普通の生活に、慣れていくうちに、貧民だった頃の・・・生活が、凄く嫌になって、貧民そのものも、嫌いになって、それで・・・・・・
・・・・・・きっと、これは・・・そんな私への、報いなんだと、思います・・・・・・あは・・・は、は・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・本当に、最低ですよね、私って・・・・・・そう・・・思いますよね、戦士、団長・・・?」
「・・・ううん。本当の事を打ち明けて、自分の行いを悔いただけでも貴女は立派よ」
「・・・・・・じゃあ、さっきの子にも伝えて下さい・・・ゴホッ・・・あの時、あなたの事を・・・苛めてばかりで、ごめんなさい、と・・・・・・」
「!!・・・・・・・・・ええ。しっかり伝えておくわ。だから、安心して・・・」
「はい・・・・・・短い、間・・・でした・・・けど・・・本当・・・に・・・あ・・・・・・り・・・――――――」
ガールードに差し伸べた手の震えが、完全に止まった。
「戦士団長・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
涙を堪え、ゆっくりと立ち上がった。
「・・・戦士団長。追い討ちをかけるようなタイミングで大変申し訳ないのですが・・・」
「・・・遠慮せずに言って」
「彼ら、もしかして・・・・・・」
横たわるテロリスト、もといレジスタンスらの遺体をよく見ると、決して良いとは言えない身なり。
そう、彼らも元は生活に苦しむ下層街の貧民。
ガールードの複雑な心情は、自分の愚行で新米兵士の大切な命を失わせただけではない。
ボスの一連の発言も相まって、拭いきれない罪の意識に苛まれていた。
「・・・私の所為で一人が死に、更には王女様の御命を護るためとは言え、貧民まで手に掛けざるを得なかった・・・・・・」
下々の苦しみに理解を置いている彼女が、このように残酷な命令を下す筈が無い。
何か、もっと最善の形で回避しようと別の方法を考えていたのだろう。
「・・・“あの時”もそうだった。あれは・・・本当に正しかったの?」
今回の一件もやはり、元老院の思惑が一枚絡んでいる気がしてならなかった。
このまま大人しく帰るのも癪だ。
それにもう少しだけ、気持ちの整理をつける時間が欲しい。
「うっひゃー。派手にやっちまったねぇ、おたくら」
疑念と涙の晴れやらぬうち、此処にいた男達とは違う者の声が割って入った。
振り返ると部屋の入り口に立っているのは、見慣れぬ鎧姿の男性。
「まだ仲間が居ました!!」
「悲しいぜ、ボス。奥さんと子供置いて先に行っちまうなんてよぉ」
前髪を擦ると、不意にふらりと姿を消す。
亡き新米兵士を気に掛けつつ、ガールード達は階段を登って後を追った。
「待ちなさい!!」
地下より戻っては来たが、客室に男の姿は見えない。
用心深く辺りを見回すガールード達。
丁度、全員の視界が出入口の扉を外した時だった。
「しつこいねぇ、おたくら。右手痺れちまったぜ」
「!!」
「あんな所に!?」
「信じられない・・・・・・」
見上げると、先程の男が鋼鉄の爪を天井に突き刺し見下ろしていた。
とんでもない光景に唖然とする兵士達だが、すぐに理解できた事が一つ。
「ほいっと。降りたからもう文句言うなよ、な」
この男、ただ者ではない。